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2010年4月

2010年4月29日 (木)

SECによるゴールドマン・サックス提訴は妥当ではない。

米証券取引委員会がゴールドマン・サックスを提訴したけど、その内容があまり伝わってきません。所謂リーマンショックの元凶が、同証券会社のような行為にあったのだとすれば、これは憎いので、一体どんな罪があったのか、そしてそれは今後このような金融危機が起こらないようにするための再防止策のヒントのようなものがそこにあるのかと、ちょっと興味があります。

4月26日の日経には、英紙フィナンシャル・タイムズの報道を引用して、ゴールドマン・サックスは、ロイズ・バンク・グループの資金調達を担当した際、自らも債権を購入していたとし、このことが罪であるように伝えていました。

しかし、本当にそれは罪なのでしょうか。今回の提訴はこのような内容を糾弾しようとしているのでしょうか。

証券会社は、資金調達を支援するが投資も支援し、その両方を同時に見るから、調達と投資の橋渡しができるのだと思います。記事では、ゴールドマン・サックスが、「引受部門と投資部門を分けている」と弁解しているようなことも書かれていますが、内部統制上そうすべきとのルールがあるのならそのルールも正しいとは思えません。

そもそも、本件では自らも投資したことで、調達の条件がロイズに不利になったことを責めていますが、リーマンショックは投資家の立場にたたずに高リスク商品を売りさばいていたことが原因とされています(それは別に議論が必要だが)。その意味では、自分も投資することで、投資家の立場に立つことができるのだから、むしろ良いことではないかなと思います。

だから、証券会社を規制するとすれば、「資金調達を担当するなら、自らもその発行証券の10%以上を最終償還期限まで保有しなければならない。」なんてルールが、ひょっとしたらあってもいい。

それから、商業銀行がシンジケート・ローン(複数銀行が協調して同じ貸出先に融資する仕組み)を組むとき、大抵の場合、自分でもお金を出します。むしろそうしないと参加した銀行から疑いの目で見られる。金を出さないということはリスクをとらないということなので、その融資は危ないんじゃないかとみられる訳です。商業銀行と証券会社は手段も機能も異なりますが、切り口は同じです。

投資家にとって良い投資であれば、それは調達者(融資の場合は借入人)にとっても良い調達であるはず。なぜなら、そのお金が正しい方法で有効に活用され将来果実を生むなら、調達者も投資家も幸せになれるからです。そのためには、調達側と投資側の両方の立場を理解しながら仕組みをまとめるはず。だから、ゴールドマン・サックスのこのことだけを指して罪だというのはおかしい。

ただ、橋渡し機能としての金融は、その距離があまり遠くなってしまうと、橋渡しした本人もわからなくなってしまう。実はそこが問題であって、リーマンショックの本質はそこにあります。これはまた機会を改めて・・・。

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2010年4月26日 (月)

政党とその名前、減税日本

政党とは、政治上の主義・主張を同じくする者が政権の獲得めざし、その政治理念や政策を実現するために結成する団体であると、明鏡国語辞典に書いてあります。「たちあがれ日本」や「新党日本」や、少し古くなりますが、「さきがけ」などでは、その主義主張が何なのか分かりません。

その意味で、政党の結成目的を明確にした、名古屋市河村市長の「減税日本」は実に分かりやすい。しかし、減税だけが政治の目的かというとそうでもないと思います。だから、減税日本は政党の名前にふさわしいかというとちょっと違うような気がします。

「たちあがれ日本」ではどんな主義・主張も吸収してしまうが、明確な結成目的がなく、具体性に欠ける。一方「減税日本」では結成目的が明確だけど、主義・主張が極端に狭くて、あとについていきにくい。政党というより、プロジェクト名のようです。

ならば、いっそのこと政党をやめて、政策ごとのプロジェクト・チームで議会を運営してはどうでしょうか。プロジェクト・チームなので、政治家は分野ごとに複数チームに所属する。財政分野では、減税チーム、消費税チーム、ケインズチーム・・・・、防衛分野では、日米安保維持チーム、中国すり寄りチーム、非武装チーム・・・・などという具合です。

同じ民主党といえども、各論ではいろんな意見があるでしょうし、それは自民党でも同じはず。この方法なら、党方針で投票方針を統一するなんてばかなことしなくてもよくなる。

ただ、この場合は、少数意見をしっかり拾い上げてやる必要があるので、小選挙区制ではなく、中選挙区にする必要があるでしょうね。当然、比例代表制は廃止です。

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2010年4月23日 (金)

「パネェ」、言葉と仲間意識と多言語国家の矛盾

「パネェ」って言葉知りませんでした。

中途半端じゃない → ハンパじゃない → ハンパじゃねぇ → パじゃねぇ → パねぇ → パネェ、と変化してできた言葉で、その意味は「中途半端じゃない」であるという。

じゃあ何故「中途半端じゃない」ではいけないのか。それでは長すぎて時間の無駄だということもあるでしょうけど、それよりも、その意味を知っている人だけで集まって仲間と呼び合うためではないかと思います。

パネェを使えない人を疎外して、使える人だけがその仲間に加わることができる。そのうちパネェが普及してみんなが使うようになると、きっとまた別の言葉が創造されるでしょうね。

人は一人では生きていけないので、集まって集団を作ろうとするけど、人類全体が一つの集団になると、それもつまらないからその集団の中で特別な集団を作ろうとします。その特別な集団が大きくなり過ぎると、またその中に別の切り口による特別集団を作りたがる。

一人と全員集団との間に仲間意識を一番強く感じることができる最適な規模の集団があるはずで、この類の言葉はその最適規模集団を追求しつづける。

言語は通じ合う道具として存在するのに、通じ合わないことで仲間意識を強くすることにも使われる不思議なものです。

大昔、神はバベルの塔を作って天に挑戦しようとした人類から共通語を奪いました。通じ合う小集団に分割されて、国や国家ができたのだとすれば、中国のように1つの国の中に通じ合うことができない多くの民族がいるのはやはり不自然なのではないでしょうか。

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2010年4月22日 (木)

全国学力テストと事業仕分け

全国学力テストの参加校数が話題になっています。一定以上の教育水準が確保されているかどうかを把握するためには、データを全件揃えなくても抽出式で十分だということで、予算を削減して抽出式にしたために参加校が減ったとあります。

でも、これは中央省庁の視座であって、他にも、参加する学校やその地域の教育委員会が自分たちの指導水準や指導結果の水準(つまり成績)がどうであるかを知って改善に役立てようという参加者側からみた目的もあるはずです。

そして、参加者側のニーズを満たそうとするなら、中途半端な参加率では役に立たないのではないか。特に独自の学力テスト制度を持つ地域は教育指導への意識も高いはずだから、そんな地域が参加しないとなると、正確な全国基準が出てこないのではないか。であれば使えないということになって、この目的は全部ギブアップ。

さらに、これが事業仕分けで予算削減されたから仕方ないのだとすれば、仕分けの姿勢に問題があるのではないでしょうか。

予算を半分削減しても半分の事業効果が残るなら、まあいいでしょう。お金がないのだから半分で我慢するかとなるが、半分にしたら事業効果が全部なくなってしまったという事業も中にはあるのではないか。そんな場合は、残した半分の予算は半分の意味さえも失うことになる。

学力テストのケースはどうだろう。仕分けに当たっては、単に予算捻出の切り口ではなく、まず事業の当初の目的をちゃんと把握し、その目的の吟味から始めてもらいたいものです。

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2010年4月19日 (月)

名古屋市長、河村たかしと議員報酬とポリスとオイコス

名古屋市の河村市長の市政改革が性急なので、議会と真っ向からぶつかっています。河村市長によれば、市議会議員の報酬は今の半分でいいというし、議員の数は半分でいいという。

半分とは思い切ったものですが、報酬にしても議員数にしても、合理的な方法ではじき出した数字とはとても思えませんね。1割カットや2割カット・・・ではインパクトなくいので、やるなら思いっきりやった方が名古屋に河村ありと全国に知れるだろうということかもしれない。

でも、議員が職業になってしまってはいけないという発言はなんだか分かるような気がします。議員として頑張るのは高い報酬を得るためだということなら、自己の生命への配慮を超えて存在する市政という名古屋市民共通の世界への高貴な貢献はありえない。

昔、「ポリス」とは公的領域を指し、それに対して「オイコス」があったそうです。オイコスはエコノミーの語源にもなっている私的領域を指す言葉で、自己の生命への配慮、つまり生活するために労働に従事する場所です。

政治はポリスで、生活を維持する活動の場であるオイコスとは区別されていました。高い報酬を得るための活動はオイコスであり、ポリスにそれを持ち込んではいけない。これをそのまま名古屋にあてはめるなら、市議会議員は一切報酬を望んではいけないとなる。報酬の半分カットどころか、無報酬でやれということ。

ひょっとしたら、河村市長はこう考えて、ゼロではさすがにあんまりだから、足して二で割った半分という金額を合理的にはじき出したのかも知れませんね。

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2010年4月18日 (日)

頭悪いっていいこと?

「俺、頭悪いから・・・」とか、「俺、馬鹿だから・・・」と前置きしてから話をする人が多いですね。自分が馬鹿になれば相手を安心させ、付き合いやすい奴だと思ってもらえるからです。

付き合いやすい人は好かれる。でも、本当に周囲から、あいつは頭悪いと思われている人が「俺、頭悪いから・・・」と言うと、「ああ、やっぱりな。」となって、周りは相当ひくでしょうね。だから、本当に頭悪い人はあまりそんなこと言わない。だって、自分が頭悪いことを告白して、周りがひいたら・・・・とってもみじめになるから。

だから、「俺・・・」という人は、自分は少なくともましだと思っている人のはず。ましであって、なおかつ周りを安心させて、好かれる・・・・そんな人に私はなりたい・・・・と、みんな思う。

と、いう訳で、みんな頭悪くなりたがるようになって、頭悪い人を目指す。

中には、頭悪いと言っておいて、実はそうではないとなると、それは回りを裏切ることになるから、良くない。周囲の信頼を勝ち取るためには、心身ともに頭悪くならなければならない・・・なんて、訳の分らない理屈をこねて、本当に馬鹿を目指す人も現れる。それが、どんどん広がって、本当に日本中が頭悪くなってしまった。

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2010年4月14日 (水)

核サミットと歌劇「ドクター・アトミック」

核安全保障サミットが閉幕して、コミュニケが発表されました。

日本は、唯一の被爆国として、言うべきことや為すべきことが沢山あると思いますが、原爆を使った当の張本人であるアメリカの世論はどうなっているのでしょうか。

原爆を投下したエノラ・ゲイがスミソニアン博物館に展示されるというので話題になったのはちょっと前のことですが、この時は、原爆が戦争を終結させて自由を守ったとの声が意外に多かったのに驚かされました。

これに対し最近NHKのBShiで放映されたメトロポリタン歌劇場の「ドクター・アトミック」は、原爆の悲惨さを訴えるオペラがニューヨークの真ん中で上演されたという意味で興味深いものでした。

このオペラは、米国での最初の原爆実験を題材にとりあげた、アダムス作曲の3時間半くらいのもので、開発にかかわったオッペンハイマー博士の苦悩が表現されていました。その苦悩とは、課せられた使命と人道上の呵責の挟間に生じたものです。話の内容がそんな内容ですから、当然、全体が終始重苦しく展開されます。

で、最後に爆発の実験で舞台がピカッとなった瞬間で終わるのですが、すぐ暗転して全員が茫然としている中、劇場に日本人女性の静かで無表情な声が流れます。日本語で、「水をください。」それが何回も繰り返される。

全く感情が伝わらない、無表情な声がかえって、悲惨な姿を想像させます。何が起こったのかわからず茫然と立ち尽くし、水が欲しいという動物的本能の部分しか残っていない。原爆の悲惨さを訴えるメッセージオペラでした。

上演されたのが、ニューヨークの真ん中のメトロポリタン歌劇場です。NYの市民はどんな気持ちでこのオペラを観たのでしょう。

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2010年4月12日 (月)

たちあがれ日本、年寄りがいい。

平沼氏や与謝野氏が中心になって立ち上げた新党、たちあがれ日本の結成会見が面白かった。なにがって、命名した石原都知事が、(たぶん記者に向かって)「君たち若いもんと違って、我々は本気で国のことを思っているんだ。年寄りだよ。ああ、そうだよ。年寄りだから思ってるんだ・・・」みたいなことを言っていたとこ。

高齢化がどんどん進んでいる一方で、政界も財界も皆若返りだと口をそろえて言いますが、高齢化が進むなら隠居年齢も高齢化するほうが理にかなっているのではないかと思うことがあります。

自民党も年寄りを追い出したから変わるのかというと必ずしもそうではないと思います。若けりゃいいってもんでもない。自民党が再生するために追い出さなければならない人は、利益誘導を画策することが政治であると勘違いしている人であり、その人たちはまだ自民党の中に居る。

国民は行政サービスの受益者となる前に、その構築と建設に責任を持たなければならない。そんな理性に基づいた真に公共的議論ができるかどうかは年齢に関係ないのです。

新党には是非頑張ってほしいとおもいます。

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