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2010年5月

2010年5月29日 (土)

大相撲溜席の入場整理券と経営組織

牢屋に居る親分が、テレビに映った子分の元気な姿を見て、感涙にむせぶ情景を思い浮かべてみてください。昔流行ったやくざ映画のシーンにありそうですね。

昨年7月の大相撲名古屋場所中に、山口組系暴力団の幹部が土俵下の溜席にある維持員席で観戦していた問題で、この席の入場整理券を手配した現役の親方が、日本相撲協会から罰せられました。暴力団を町から追放するためには、全員が一致協力してこれに当たらなければなりません。一部に妥協する者が現れると、暴力団はすぐにそれに付け込んで、たちまち協力体制が崩れてしまうから、今回のように暴力団に渡るとは思わなかったなどという言い訳は通用しません。当然の罰だと思います。

しかし、何故そんなことをしたのかという理由を聞いた時、僕は別の意味で今回の事件に興味を持ちました。暴力団幹部は、刑務所では相撲と高校野球を見ることが義務付けられていることに注目し、テレビに映りやすい観客席に居れば、刑務所に収監されている親分がテレビに映る自分たちを見つけてくれるかもしれないと思ったということです。

それは、ロケ中の有名人の後ろで、自分もテレビに映ろうと、しきりに手を振っている子供なんかとは違う。「ねえねえ!私昨日テレビに映ったの!見た?見た?ねえ、見たでしょ?」

その暴力団幹部は、刑務所に居る親分はきっと自分たち子分のことを心配しているに違いないと思ったのでしょう。だから、親分を心配させちゃいけねえ。ここは是非自分たちの元気な姿を見せて安心してもらおうじゃねえか。と誰かが言って、そうだそうだということになったのでしょう。

子分は親分が自分たちのことを心配しているはずだと信じている。そして親分のために何かして差し上げたいという気持ちで子分たちが一丸となっている。なんだかけなげで美しい。

日本的経営が幅を利かせていた古き良き時代の企業組織もこうだったのではないでしょうか。あるいは、殿様と家臣の関係も。トップの命令がミラミッド型の組織形態を通して一気に家臣に伝わると、皆一丸となって団結しトップの為に命を賭して頑張る。そんな組織は、一定の条件を満たせば、存分に組織力を発揮して、非常に強くなります。

ただ、その一定の条件というのが結構くせものです。少なくとも言えるのは、次の2つでしょうね。

まず、トップが命令を出すこと。残念がら日本的経営では組織の意思決定が主にボトムアップでなされ、トップはよきに計らえ的に君臨しているだけという場合が多いようです。

2つめは、正しい命令を出すこと。日本に限らず、苦労して叩き上げた経営者の中には理論を軽んじる傾向があります。経験は説得力があって強いが、実に狭いのです。だから理論を軽んじる経営者は視野が狭く、正しい命令を出すことがなかなかできません。

結局、強い体質を持ちながら、この2つの条件が満たされないために、現実にはなかなか強くなれない。うまくできていますね。

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2010年5月23日 (日)

普天間基地問題と仲井間知事。ブレないことはいいことか。

大山鳴動してネズミ一匹とはまさにこのことです。ただし、成果という意味において。山が鳴るほど大騒ぎして出てきたのはたったネズミ一匹ほどのつまらないものという意味ですが、この騒ぎ、成果という意味ではつまらないが、影響という意味ではあまりにも大きい。

今度こそ変わるかもしれないと思わせた政治がまたも信頼を損ねたこと、日米関係に悪影響を及ぼしたこと、大切な時間とお金を無駄にしたこと、そして米国の防衛線より、第2列島線と言われる中国の防衛線にすり寄る議論を可能にしたこと。

またこの騒ぎは、仲井間知事の顔も潰しましたね。

基地に関していろんな意見はあると思いますし、別に個人的な関係があって肩を持つわけではありませんが、中央の方針に翻弄されながらもなんとか民の意思の最大公約数を見出していこうとしてる行動に敬意を表するものであります。

もともと基地に理解を示していたので、表面上柔軟に見えるだけなのかもしれませんが、それでもこの人を見ていると、それが良い方向かどうかは別にして、少なくともどっちかの方向へ進んでいきそうな気がします。

名護市の稲嶺市長や、徳之島の伊仙町、天城町、徳之島町の3町長の立場は実に明確で、絶対にブレないでしょうけど、これでは物事は進みません。政治家にとって、いえ政治家でなくでもブレないということは必ずしも良いことではありません。人の話を聞かないし、聞く耳を持たないともいえます。

人が組織を成して生活している以上、意見の異なる一人一人が少しずつブレていかないと、組織は機能しません。納得できる根拠があるなら、昨日の主張も今日は愚論であると、あっさり切り捨てる節操のなさもよい。

それに、組織が破綻してなくなってしまうような致命的な意思決定は、そうは起こりません。そして、そんな意思決定以外のどんな愚かな意思決定も結局は正解とみなされます。何故なら、その意思決定以外の現実は実現しなかったからです。

ちょっと解りにくいけど、仮に賢い判断と愚かな判断の両方の選択肢があって、民がたまたま愚かな選択肢を採ってしまったとしましょう。そのときはその愚かな選択肢に沿って事が実行されて愚かな選択肢が実現するはずです。民はそれが実現してはじめてそれは愚かだったと気づくかもしれません。しかし、それはもう過去のことです。愚かでも賢くても、そこを新たな出発点として、さらに進む以外に方法はありません。組織が生きてさえいれば、いつか、この時の賢い選択肢を実現できるかもしれないし、別な賢い選択肢に辿り着くかもしれない。

それが愚かでも、民を指導して何かを成したという事、そのものに一定の評価があり、その加点は何も成さなかったより相当大きい。それが愚かであったか賢かったかはその次の評価段階で、その加点は思ったより少ない。

例えば、

事を成したことへの評価点は、10点。

賢い選択をしたことへの評価点は、2点。

愚かな選択をしたことへの原点は、マイナス2

だから、賢い選択をしてそれを実現した場合の評価は12点。

愚かな選択をして、それを実現した場合の評価でも8点もらえる。

社民党福島瑞穂氏のように、賢い選択(?)のために議論を継続すべきだということで、賢い選択をしたけど、実行しなかった場合の評価は2点しかもらえない。

という配点ではないでしょうか。

ですから、大切なのは何かを見出すという意思ではないかと思います。ひょっとしたら、普天間基地の問題で、最後にこれはという納得できる案を提案するのは仲井間知事かもしれません。

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2010年5月21日 (金)

口蹄疫流行と宮崎県の責任

僕はオーストラリアの空港で荷物の中にあった梅干しを没収されたことがあります。空港内のあちこち、Foot-&-Mouth disease 検査への協力を呼び掛けるポスターが貼られていました。日本にも輸入されているオーズィービーフの産地オーストラリアでは、空港の検疫が非常に厳しく、しっかりした危機管理体制が敷かれている様子がうかがえました。

転ばぬ先の杖という言葉がありますが、口蹄疫が流行する前にそのようなものが宮崎県にあったのでしょうか。聞けば、宮崎牛は全国に誇るブランドで、非常に重要な産業であるという。ならばそれを危機から守る「杖」があってしかるべきです。

しかし、最初に疑われてから対処するまでに時間がかかりました。処分方針が決まっても、場所の確保ができていないので処分に時間がかかっています。また、ワクチンを投与してからの処分する方針を決め、非感染牛も大量に処分する方針が打ち出される一方で、酪農など関連する産業への救済方法などはまだです。

そんな様子見ていると、とてもそんな「杖」があったとは考えにくい。

どうも、世間では体制作りをする仕事を軽視する風潮があるのではないかという気がします。体制とは、危機管理体制はもちろん営業体制なども含む組織運営上のソフトウェアのことです。こういう仕事は地味で人目ににもつかず、人気がないらしい。

一方、実際に危機が起こったとき、収拾対応で忙しそうに動き回る仕事は派手で人気があるようです。大変なときに先頭に立って旗を振る姿はかっこいい。ドラクロワの有名な絵「民衆を導く自由の女神」の中央に描かれている女神は勇ましくてかっこよく、民衆が憧れる。自分の事などかまう余裕もなく、真剣にそのことに打ち込んでいる姿は、けなげで同情をかいやすい。成果があってもなくても、それだけで票を集める効果があります。

両者は同じようにリーダーシップを必要としますが、世間ではリーダーというと、前者のように地道に体制作りを指導する人より、後者のように緊急時にカリスマ性を発揮する人をイメージするのではないでしょうか。しかも、後者の方が評価されやすく、なにかとお得で、メディアもとりあげる。

ところで、当然ですが、危機管理体制がしっかりできていると、大きな事件が起きにくくなります。大きな事件にならないように危機管理体制を作るのですから当たり前の話です。ですから、体制作りを一生懸命している人は、派手でお得な事態収拾場面に登場する機会が少ないといえます。

この辺が不条理ですね。どちらかと言えば、より大切な体制作りを地道にこなしている人が世間の目から遠く、そこを怠って事態が大きくなってから登場する方が評価されやすい。

じゃあ、派手な事態収拾が好きな人は、そういう場面がないときは何をしているのでしょう。地道に体制作りをしているかというと、そうではありません。自分の似顔絵をあちこちに貼り付けては派手な宣伝活動に憂き身をやつしているのです。TVにも出ながら。

宮崎県知事は、もう少し足を地につけて、地道な体制作りに励むべきです。

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2010年5月20日 (木)

ギリシャとEUの金融危機はリーマンショックと内容が違うがつながっている

ギリシャ財政危機に端を発するEUの危機と、いわゆるリーマンショックと言われる、米国発の金融危機とは同じ危機でも内容が違います。大雑把にいえば、EUの仕組みにもともとあった矛盾がリーマンショック後の対応によって表面化して事が大きくなったと言えます。

リーマンショックは、お金を実体経済の為に使うことを忘れてしまった人たちが、信用リスク売買市場(CDS市場)に大量の流動性をつぎ込んだ結果起きたもので、その本質はバブルです。ついでに言うと次のバブルは、二酸化炭素排出権取引市場かもしれませんね。

これに対して、EU危機はもともとあった矛盾が表面化して信用収縮が起こったのであり、バブルではない。

EUの仕組みにもともとあった矛盾とは、異なる経済単位を単一通貨で統一している仕組みそのものです。当然ですけど、異なる経済単位とならぬよう、通貨以外のあらゆる経済政策も統一すれば矛盾は生じないはずです。でも、そうはしない。みんな自分の国のアイデンティティを大切にしたいし。豊かな国は貧乏な国に足を引っ張られたくないからです。

だから実際には、通貨にかかわる政策(金融政策)では、単一通貨を使うことで各国の自由度を奪うが、財政政策の自由度は残してあるなんてことになっています。経済政策は、大きく金融政策と財政政策に分類できますから、各国で自主的に操作できるのは財政政策だけということになって、残り半分の金融政策ではEU全体のルールに従わざるを得ません。

その結果、ギリシャのように経済活動が貧弱な国がなんとかしようとすると、財政政策しか選択肢がないので、財政赤字がどんどん膨らむことになります。そこへ、リーマンショックが起こり、無理に無理を重ねて財政が出動した結果破たんした。

そのあとに発生した、欧州全体の金融市場の信用収縮は、大型の(ギリシャ国家のような)不良債権が発生する、或いはしそうになる場合によくあることですから100年に一度ということはない。

結局、財政破綻も信用収縮もバブルではありませんから、この意味において、リーマンショックとEU危機の内容は異なります。

ただ、EUのこの矛盾は、様々な工夫をすることでいままでなんとか大事に至らずに済んでいたのに、リーマンショック後の対応として財政が大きく出動したもんだから、一気に悪い面だけ露呈して危機になったと言えるわけで、その点では、リーマンショックが欧州危機に形を変えて続いていると言えるのかもしれません。両者はつながっているんですね。

で、思い出すのが、夏目漱石の「道草」。「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。」

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2010年5月 9日 (日)

スマートフォンの使い道。OSは?アプリは?T-01Aにした訳。

ドコモのスマートフォンT-01A。2年間のしばりがあるけど、それくらいの期間は十分おもちゃとしてだけでも楽しめそうです。今はスマートフォンを普及させようといろんな割引があって、ヨドバシカメラで新規なら1円、機種変更でも2万円以下と安いので、おもちゃとしてだけでも高くは感じません。

でも、本来のハード価格は6万円くらいなので、そうなるとおもちゃとしてだけならとは言ってられません。もっと実用的な使い方も考えていかないと、いけないと思います。

では、どう実用的に使うかと言うと、「スマートフォンがパソコン付き携帯電話である。」ことを考えれば、その方法を見出しやすい。みんな、パソコンをどのように使っているのでしょうか。自宅のパソコンか会社のパソコンかで使い方も違ってくるでしょうね。

ゲーム、インターネット、ブログの書きこみ、手帳代わり、資料作成、写真や音楽などいろいろだと思いますが、音楽だけなら別な方法があるでしょう、動画や映像だけという場合もそれ専用のもっと安い別の方法があります。ゲームだけという人も、わざわざスマートフォンでなくてもいいはずです。もっとも、それらを一つの機械でというなら必要かもしれません。

そのように、わざわざスマートフォンを買わなければならない使い道だけを絞り込んでいくと、インストールするアプリケーションもOSも選択する根拠を明らかにすることができ、そこから本当にスマートフォンを書くべきかどうかの意思決定もできます。

楽しさを追求するなら、MacかAndroid、僕の場合は、日々作成した情報資料を出先でも使いたいというのが主な使い道だったから、Windowsにしました。

-01Aを購入するとき、やはりインターネットで、実際の購入者がどういう使い方をしているのかを調べていたら、とても覚えきれない臨床知識や数値を算出するための公式、自分が勉強につかった医学書のポイントなどを入力して、出先で必要になったとき確認しているお医者さんが居ました。しかも複数。ああ、これだ!と思いましたね。

神奈川県のある大学では、学生と大学職員全員にiPhoneを無料で配布したそうです。目的はなんでしょうか。最近はレポートも電話で済ます学生もいるらしいのですが、次の候補が表示されてそれを選んでいくだけのプチプチキータッチで論文が書けるとはとても思えませんね。

東京大学は数年前に額内のPCを全部Macに変えましたから、この神奈川県の大学もそんな事情があって、学内使用と出先からのアクセスなどの互換性を考慮して、iPhoneを使わせるようと考えたのかもしれません

スマートフォンの可能性が宇宙のように広いので、いろんな使い方ができます。有効に活用して5~6万円以上の価値を見出すのは、購入者次第ですね。

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2010年5月 8日 (土)

銀行からお金を借りる。資金使途とは?

銀行に行って、「資金繰りに困っているからお金を貸してください。」と言っても、貸してくれませんよね。貸してくれと頼まれても、困っていると言われれば、ちょっと考え込んでしまう。貸したお金が返ってこない危険性が高いと思ってしまうからです。銀行はお金のない人にお金を貸さない・・・とはよく言ったものです。でもお金を借りたいときはお金がないとき。両者はいつまでたっても交わることなく、銀行業なんて成り立ちえない。

じゃあ、銀行はお金のある人に貸しているかというと、借りる人が銀行に(利息を)寄付したいと考えているかと税金対策以外には、そんなことありえません。だから、基本的には、銀行が貸す相手は、資金繰りに困っている人です。

でも、ただ困っているでは貸してくれない。困っているの一点張りの人には、「はいはいわかりました。ではこれをどうぞ。」と言って、信用保証協会保証付き融資とか、担保を要求する融資とかを提案するのが関の山。

もっとも、困っているときは信用保証も担保も目いっぱい使っていて余力ないのが普通ですし、これは銀行がお金を貸しているとは言えません。すぐ、担保あるか?という話になってしまう場合はこんな場合で、本当の融資とはそんなもんじゃありません。欧米の銀行の融資姿勢を見てごらんなさい。と言っても欧米の銀行の在日支店は日本の銀行と同じだからだめですよ。

では、どうするかというと、「困っている」中身をきちんと説明することです。それはお金の使い道というわけで、資金使途と言われます。借入人は、財務諸表を見せて、これで貸してくれるのかくれないのかどっちだ、と銀行に迫りますが、財務内容が良ければ貸すというもんでもない。審査で銀行が一番気にするのは資金使途なのです。

例えば、販売先が決まっている商品の仕入れ代金を今払わなければならないがお金がない場合は、これも資金繰りに困っている状況ですが、困っているの一点張りではなく、話がこのように具体的にわかれば、前に進むことができます。

どう進むかと言うと・・・。仕入れ代金支払資金を借りても、販売代金を受け取ったら返済できる。でも、銀行は訊いてくるでしょう。「本当に販売先が決まっているんですか。」と。

その場合は、販売先との契約書の原本を見せて説明すればいい。銀行はわかりましたと一旦納得して、「でもそのお金を受け取ったら貴方はそれを別な事に使ってしまうのではないでしょうか。」と、さらにたたみかけてくるでしょう。

その場合は、「そんな事はありません。なんなら、銀行が管理できる別口座を設定してそこに振り込む契約を作りましょうか。」と言えばいい。銀行は、「ではその契約書を締結して原本を見せてください。」と言い、見せれば納得するでしょう。

でもさらに、「その商品が納入途上で事故にあったらどうしますか。」と訊いてくる。「大丈夫です。当然保険がかかています。保険証券はこのとおりです。」と。

ここまでくれば、「困っているから・・・」状態から比べて、相当リスクが軽く、十分プロパー融資の検討の範囲に入ります。だから、担保がないからとあきらめないで銀行に相談してみましょう、銀行も捨てたもんじゃないのです。

ここに書いた例は短期の運転資金ですが、では新規事業資金などはどうか。それはまた別の機会に。

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2010年5月 7日 (金)

T-01Aには満足しているものの・・・・

いわゆるタッチパネル型のスマートフォン。私が使っているのは、東芝のT-01Aです。私は、Twitterなどで「つながってる」ことへの執着はありませんので、専ら自分で作成した文書や資料などを出先で確認する目的でこれを購入しました。

電話と手帳と自作の相当量の資料を携行する。つまり、自宅のデスクトップを携帯して持ち歩くというのが主な購入目的です。

だから、アンドロイドでもマッキントッシュでもなくて、Windowsが必要だったのです。もちろんiPhoneでもWordなどの閲覧は可能ですが、後天的にインストールするより先天的に組み込まれている方が信頼できたので。

事実、購入してから、お勧めのアプリケーションをいくつか取り入れて使おうとしましたが、だいたいがうまく動作せず、まともに使うことができているのは、Officenail Date+くらいなものです。

でも、当初の目的はこなしているので、とても満足してはいます。

ところが、使ってみてタッチパネルの致命的な欠陥に気付きました。

それは、外の強い日差しのもとで、電話をかけようとすると液晶のテンキーがまるっきり見えないことです。日差しを背にして手で日陰を作ったりしてなんとか対処していますが、難しい。

自作資料の確認は、外の強い日差しのもとではあまり見る必要がなく、この点では問題ないのですが、電話となると別ですから、これはかなり厳しいのです。今思うと、そんなことは買う前から容易に想像できたはずなのに、と。

スマートフォンを持っていながら他に電話も持っている人も多いと聞きます。そんなこと聞いたときは、そんな無駄なと思いましたが、必ずしもそうでもなさそうです。

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2010年5月 4日 (火)

リーマンショックの原因の原因

リーマンショックの根本的な原因は、金融機関がお金の使い道に焦点を当ててお金を貸すことをやめてしまったから。

昔、銀行の融資はもっと健全でした。お金を貸すということは、それなりにリスクを伴うことなので、銀行員はそのリスクを吟味して判断するための知識や知恵を身につけようとたゆまない努力を重ねてきました。だから多くの銀行員は、貸したお金が返ってくるかというリスク判断に結構自信をもっていました。

ここで、貸したお金が返ってくるかというリスク判断は、単に借入人に現状の姿で観た返済能力があるかどうかということではなく、貸したお金が借入人の意図に沿って有効に使われ、そのお金が生きて、将来返済資金を含む果実が得られるかどうかという点に重きがおかれます。

その為には、貸出先の経営者や企画担当者などから、お金の使い道をよく聞き、それがどんな計画で、実現可能性は十分かなど分析するのです。融資審査担当者はなにも財務諸表だけ分析しているわけではありません。

それは、社債などでも同じです。

社債を発行するときは、目論見書をつくります。目論見書には集めたお金をどのように生かすのかという、文字通り目論見が書かれていて、それで投資を促す。もちろん、証券会社はその目論見が正しく実現可能で意義のある事業かどうかを見極めて納得しないと引受しません。

金融とは、そのようなものであったはずです。

ところが、最近はお金が生きるかどうかという事業の中身より、単に借入人や発行者に、現状の姿で観た返済能力があるかどうかということだけに着目してそれを数値化し、統計学の手法を駆使して、切り刻み、或いは加工し、或いは組み合わせるなど、当初の姿をとどめない金融が幅をきかせるようになりました。

そうなるともう、投資家や資金の貸し手にはもともとのお金を生かす事業や目論見など見えません。借入人は、返済する為に借りるのではなく、お金を使って何かを生み出す為に借りるのです。

整理すると、問題は2つあります。

ひとつは、数値化できるものが現状の借入人の状況だけだということ。昔、銀行員が持っていた、お金を生かして果実を生む事業に有効に使われるのかどうかという視点がここから欠落しています。統計学は過去データを帰納法的に分析するものであり、財務分析は現状の財務の状態が見えるにすぎません。それに対して、お金が生きるかどうかという問いかけは、人の頭で考える以外に正答を得る方法がない。

もうひとつは、切り刻んでいる間に、元の姿が見えなくなるということです。元の姿とは、お金を生かす方法のことです。数学を駆使して加工した金融商品を創り出す過程で、一番大切なそのことが見えなくなっています。

そんな金融手法が世界中に広がり、お金はなんのために必要なのかを忘れてしまった人たちが、それにとびついてリーマンショクが起こりました。

そんな中でも、本来の商業銀行に立ち返って、お金を生かすための融資機会を探している銀行支店長も多いと思います。中小企業は、そんな支店長のとこへお金の相談をしに行くべきです。その方法はまた別の機会に。

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2010年5月 1日 (土)

可哀相な英ブラウン首相と思いあがったマスコミ

英ブラウン首相が、遊説先の路上で女性有権者とちょっとした口論になりました。口論の後は、冗談など飛ばして、なごやかな雰囲気を取り戻し、なんとかおさまりましたが、その後がいけない。

顔で笑っていたものの、内心ではよほど反論されたことにむしゃくしゃしていたに違いありません。首相は車に乗り込むやいなや、側近に「あれは、どうしようもない。偏見に満ちた女だ。」と、不満をぶちまけたのです。

こんな車内の会話がどうして知れるところとなったというと、首相が放送用の小型マイクを取るのを忘れていたからです。しかも、放送局は、それを報道した上に、わざわざ件の女性有権者につげぐちしました。当然女性は怒り心頭に発し、首相はとうとう女性の自宅までお詫びに出向く始末。

この一件では、まず首相の過ちが責められるのは仕方ないとして、BBCかどこの放送局か知りませんが、その放送局も余計な事をしたもんだと思いませんか?ひょっとしたら、その女性有権者だって、家に帰ってご主人か誰かに、首相の悪態のひとつもついたかもしれない。でも、もうそれはオフレコです。首相の車内での本音もオフレコです。それをまるで鬼の首でもとったように暴いて見せるのはやっぱり大人げないと、僕は思います。

マスコミは、言論の自由を盾に取って、あまりにも悪意に満ちた取材と報道が多すぎます。日本でもそうですね。少しくらい漢字の読み方を間違えたからといって、一国の首相を馬鹿にするような報道はすべきではありませんし、たった10分の首脳会談で米紙が首相を敗者よばわりしたことに、そうだそうだと喝さいするのもどうかと思います。例えば普天間基地移転について、それぞれの案にどのような功罪があるのかといった肝心の中身に関する冷静は報道がほとんどなく、誰が先走ったとか、昨日の話と違うとか、離党したとかくっついたとか、芸能ニュースのような報道ばかりが目につきます。

ペンは剣よりも強し・・・とは、英リットンの戯曲「リシュリュー」のなかの台詞ですが、これもマスコミを思いあがらせている原因のひとつかもしれません。宰相リシュリューが謀反人を倒したくてもその手段を思いつかないでいるときに、側近が「あなたには、死刑執行できる権力があるのだから、ペンでサインすればいいじゃないか。」と言う場面があり、ここから「ペンは剣よりも・・・。」となりました。

しかし、上記からわかるようにもともとは、強権があるのだからペンで署名すればいつでもそれを発動できるのだという意味であって、文章の説得力で不当な(とマスコミが思っている)権力乱用に立ち向かい勝利できるのだ・・・・という意味ではありません。権力を行使する意味だったのに、権力に抗する意味になってしまいました。

仮に、100歩譲って、文章で説得できるし、言論は自由なんだという前提なら、そんな強い力を持っているマスコミは、もっと高貴な義務感を持って、報道活動に当たってほしいものです。

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