« 口蹄疫流行と宮崎県の責任 | トップページ | 大相撲溜席の入場整理券と経営組織 »

2010年5月23日 (日)

普天間基地問題と仲井間知事。ブレないことはいいことか。

大山鳴動してネズミ一匹とはまさにこのことです。ただし、成果という意味において。山が鳴るほど大騒ぎして出てきたのはたったネズミ一匹ほどのつまらないものという意味ですが、この騒ぎ、成果という意味ではつまらないが、影響という意味ではあまりにも大きい。

今度こそ変わるかもしれないと思わせた政治がまたも信頼を損ねたこと、日米関係に悪影響を及ぼしたこと、大切な時間とお金を無駄にしたこと、そして米国の防衛線より、第2列島線と言われる中国の防衛線にすり寄る議論を可能にしたこと。

またこの騒ぎは、仲井間知事の顔も潰しましたね。

基地に関していろんな意見はあると思いますし、別に個人的な関係があって肩を持つわけではありませんが、中央の方針に翻弄されながらもなんとか民の意思の最大公約数を見出していこうとしてる行動に敬意を表するものであります。

もともと基地に理解を示していたので、表面上柔軟に見えるだけなのかもしれませんが、それでもこの人を見ていると、それが良い方向かどうかは別にして、少なくともどっちかの方向へ進んでいきそうな気がします。

名護市の稲嶺市長や、徳之島の伊仙町、天城町、徳之島町の3町長の立場は実に明確で、絶対にブレないでしょうけど、これでは物事は進みません。政治家にとって、いえ政治家でなくでもブレないということは必ずしも良いことではありません。人の話を聞かないし、聞く耳を持たないともいえます。

人が組織を成して生活している以上、意見の異なる一人一人が少しずつブレていかないと、組織は機能しません。納得できる根拠があるなら、昨日の主張も今日は愚論であると、あっさり切り捨てる節操のなさもよい。

それに、組織が破綻してなくなってしまうような致命的な意思決定は、そうは起こりません。そして、そんな意思決定以外のどんな愚かな意思決定も結局は正解とみなされます。何故なら、その意思決定以外の現実は実現しなかったからです。

ちょっと解りにくいけど、仮に賢い判断と愚かな判断の両方の選択肢があって、民がたまたま愚かな選択肢を採ってしまったとしましょう。そのときはその愚かな選択肢に沿って事が実行されて愚かな選択肢が実現するはずです。民はそれが実現してはじめてそれは愚かだったと気づくかもしれません。しかし、それはもう過去のことです。愚かでも賢くても、そこを新たな出発点として、さらに進む以外に方法はありません。組織が生きてさえいれば、いつか、この時の賢い選択肢を実現できるかもしれないし、別な賢い選択肢に辿り着くかもしれない。

それが愚かでも、民を指導して何かを成したという事、そのものに一定の評価があり、その加点は何も成さなかったより相当大きい。それが愚かであったか賢かったかはその次の評価段階で、その加点は思ったより少ない。

例えば、

事を成したことへの評価点は、10点。

賢い選択をしたことへの評価点は、2点。

愚かな選択をしたことへの原点は、マイナス2

だから、賢い選択をしてそれを実現した場合の評価は12点。

愚かな選択をして、それを実現した場合の評価でも8点もらえる。

社民党福島瑞穂氏のように、賢い選択(?)のために議論を継続すべきだということで、賢い選択をしたけど、実行しなかった場合の評価は2点しかもらえない。

という配点ではないでしょうか。

ですから、大切なのは何かを見出すという意思ではないかと思います。ひょっとしたら、普天間基地の問題で、最後にこれはという納得できる案を提案するのは仲井間知事かもしれません。

|

« 口蹄疫流行と宮崎県の責任 | トップページ | 大相撲溜席の入場整理券と経営組織 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/548369/48442468

この記事へのトラックバック一覧です: 普天間基地問題と仲井間知事。ブレないことはいいことか。:

« 口蹄疫流行と宮崎県の責任 | トップページ | 大相撲溜席の入場整理券と経営組織 »