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2010年6月 4日 (金)

鳩山首相辞任と指導力

鳩山総理大臣が辞任の意思を表明しました。みんなでやめろやめろと言って、或いは言わないまでもやめるように徹底的に追いこんでおいて、実際に辞めたら、残念だと言いだす。基地縮小を願う沖縄県人は、辞めて当然だみたいなこと言いますが、現実には日米合意の方向へ流されはしたものの、沖縄の負担を減らしたいと思っていた鳩山首相が辞めたら、むしろ困るのは彼らでなないでしょうか。

なんだか皆メディアの仕向ける方法に流されて冷静な判断力を失っているような気がします。こういう人たちは冷静になって、起ころうとしていることをいろんな角度から見直して、今本当に必要な事が何であるかををきちんと見極める必要があると思います。

鳩山政権が今取り組んでいるのは、普天間基地問題だけではありません。6月には産業構造ビジョンを打ち出そうと、1月から産業構造審議会で検討が進められているし、財政戦略・中期財政フレームの作成も進んでいます。また、1年先送りした中期防衛力整備計画や、事業仕分け等もこれらが反映されるかどうかはこれからの話です。こういったことが全て中途半端なまま、彼を政権から引きずり下ろすと、これらの政策は一体どうなるのでしょうか。

政治とは決めることです。決めないと、誰も何も始めない。だからまず決めることが必要で、それが政治の役割です。このように決めかかっていたが決まらないままだらだらと時間が過ぎていくことを政治の機能不全といいます。よく政治不信だとか政治の信頼を取り戻すと言われますが、それは機能してはじめて行われる評価の問題です。政治が機能すると、それが信頼できる方法で機能しているのか、そうでないのかという具合です。だからとにかく機能していなければなりません。そういう意味で早く決める機能を取り戻してほしいものです。

では、機能はどうすれば取り戻すことができるのでしょうか。鳩山総理は指導力に欠けると言われました。指導力があれば決める機能を取り戻すことができるのでしょうか。講談社日本語大辞典によれば、指導とは正しいと信じる目的・方向に教え導くこととあります。

でも、指導したい相手が別の目的・方向を信じて疑うことがない場合は、教え導くことができません。その目的・方向が間違っているよと諭す余地があるなら、教え導くことも可能でしょうけど、それは先生が生徒に諭すような関係であって、政治の世界で、双方とも成熟した大人でかつ明確な政治理念を持っているような場合はそんなこと無理でしょう。相手の信念を曲げさせるという行為になるわけですから、それは無理です。皆投票してくれた選挙民の意思を代表してきているわけだからなおさらです。

そうなると、初めから同じ理念や信念を持っている人を集めてくるしかありません。それは選挙です。選挙で同じ党から当選する議員を増やして、あとは数に頼んで強行採決するしか決める方法がないのです。よく、強行採決をすると反対する人が居て、その反対は民意を得る場合が多いけど、イメージとして良くないので、民意が得られるだけです。強行採決は、自然のなりゆきなのです。

それを嫌うなら、あとは独裁者の出現を待つしかありません。実際、この閉塞感が全体に蔓延すると、独裁者の出現を許すことになりかねないと僕は思っています。ヒトラーも民主主義の手順を踏んで現れました。

さて、議論の歯車を1つ狂わせたら、独裁者の出現にまで進んでしまいました。ここで、歯車を戻しましょう。どの歯車を戻せばいいでしょうか。それは、指導力です。指導力という言葉を使い始めたので、あらぬ方向へスライスしてしまいました。

僕は首相に指導力を発揮してもらうのではなく、議員一人一人が選挙区の利益代表であるとの考えを捨て、大義のために工夫するという姿勢を大切にすべきだと思います。議員が選挙区の利益代表なら、議案は毎回直接選挙で決めればよい。今は電子的な方法がいくらでもあるから、技術的には可能でしょう。

でも、議員は選挙民から自分たちの利益を守ってほしいと頼まれただけではなく、議案を自分の考え方で検討することを託されたのです。環境が変わったり、条件が変わったりしたらそれを踏まえつつ、その段階で主体的によりよい方法を検討して見出していくよう託されたのです。

場合によっては、地元の利益が犠牲になっても、それが日本全体のためになるなら、当初の考え方を捨てる方がいい場合だってあるでしょう。その上で、それをバランスさせる何かを求める方法もあるはずです。民主主義は利益分配法則を議論する場ではありません。特に国会議員は国家によいことは何かを考える場です。

前回選挙で、横浜駅に「私はブレない」と書いたポスターを見かけました。皆が絶対ブレないぞと意気込むと、上に書いたように数に頼むしかなくなります。議員は国家によい事を見出すためには少しずつブレていく必要があります。悪い言葉でいうと「妥協する」ということになります。しかし、よい言葉でいうと「柔軟に考える」ということになります。

まとめると、政治が「決める」という本来の機能を取り戻すためには、議員が選挙区の利益代表に落ちぶれず、国家のあり姿を議論できる柔軟な協力姿勢を持つことが求められているのではないでしょうか。

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