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2010年10月11日 (月)

新しい方法を見出しても、以前の良い方法を忘れないように。科学的管理法は今も生きる。

何かをする時に、今までとは違った良い方法を思いついて、その方法を使うようになったら、今までの方法は忘れてしまうものですね。「何かをする」とは、仕事でも、普段の生活でも何でも当てはまります。

もちろん、従来の方法に比べて、より良い方法として思いついたのだから、より悪い方法にいつまでも固執している必要は全くないのです。今回思いついた良い方法に代わる、さらに良い方法を将来思いついたら、今回の方法も捨てられる運命です。

しかし、よく考えると、それは従来の方法と今回思いついた方法が完全に代替可能な場合だけで、少しでも補完的要素が両者間にあるなら、それは捨てるにはもったいないでしょう。

「完全に代替可能」とは、従来の方法で実現させていた事が、今回思いついた方法でも全く同じ事が実現できる場合です。

それに対して、補完的な関係とはどういうことでしょう。わかりやすいのは、従来の方法で実現していた事の一部しか、新しい方法では実現できない場合です。その場合は、従来の方法と新しい方法の両方を使うことになります。

例えば、木材を目的の形に切る場合、鋸でぎ~こぎ~こ切る従来の方法に比べ、切り始めてから半分まで行った時に向きを変えて反対側から切った方が速く切ることができる事を思いついたとします。

鋸で切るという従来の方法に、途中から向きを変えるという別の方法を合わせてやらないと木材を切ることはできないから、両者は相互に補完的です。

この例は、従来の方法を捨てることができない、あまりにも歴然とした例なので、議論の余地は全くありません。

しかし、気がつかないけど、互いに補完的な方法を、従来の古い方法だからといって安易に捨ててしまっていることが他にないでしょうか。

有名な人事マネジメントの古典、「科学的管理法」を読みました。有賀裕子さんによる新しい翻訳が出版されたのです。訳者がまえがきで、「科学的管理法には、このタイトルが原因なのか、何かと誤解がつきまとう。その最たるものが『人間を機械のごとく扱っている』というものでだろう。」と書いているように、1911年にこの本が書かれて以降、これがいかにも偏った理論であるかのような評価のもと、修正理論が次から次と発表されました。

例えば、テイラーには全体的管理の視点が欠けていたとして、管理過程論を打ち出したファヨール。メイヨーやレスリスバーガーは、人間を機械として扱っているところがこの理論の限界であるとかなんとかいって、人間関係論を打ち出しました。

その人間関係論についても、良好な人間関係が仕事の効率性を保証するものではないとの指摘にさらされています。

これらは経営管理の研究の分野ですが、では、一番最近の理論が一番優れた方法なのかというと、必ずしもそうではありません。

テイラーは、あまりにも非効率で労使ともに不幸になっている状況を見るに見かねて、なんとかその状況を救いたいとの思いで科学的管理法を主張しました。そういう状況は、現代のわれわれでも時々直面するものです。

そんな状況に対しては、メイヨーやファヨールの管理法ではなく、ましてやマズローの欲求の最終段階を議論することでもない。まずは労使双方がより合理的な方法を発見し、それを上司のマネッジのもとで実現してみる必要があります。

現代の企業経営は、実にいろんな問題を複合的にかかえています。また、企業の成長段階によりそれぞれが直面している問題も様々でしょう。企業ごとに状況が異なるし、企業内でも異なる状況を同時に抱えていることもあります。

我々は、これらの理論の古い新しいを単純な切り口で評価することなく、その全部を複合的かつ総合的に活用していく術を学ばなければりません。

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