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2010年11月 3日 (水)

北方領土の4島返還要求の根拠はなんでしょうか。

メドベージェフ大統領の国後島訪問を受けて、河野駐ロ大使が一時帰国するなど、尖閣諸島問題に引き続き、北方4島にかかわる領土問題でいろいろな動きがありました。尖閣諸島での中国漁船衝突問題では、弱腰だった民主党政権が、大統領の国後島訪問では、すぐに目に見える対応をとったのは、尖閣諸島問題での批判を受けて少し反省したからでしょうか。

しかし、これについてはちょっと無理があるような気がします。まず、対応が尖閣諸島での中国の反応のように少々子供じみていること。

それから、そもそも日本側の4島要求に歴史上の正当性があるがどうか私にはよくわかりません。そこで調べてみました。

もともと、日本とロシアの間で最初に国境が定められたのは、1855年の通好条約に遡るようです。このときは、国境が択捉島と得撫島の間に引かれました。その後、1874年の樺太千島交換条約で、樺太全島をロシア領とする代わりに千島列島が日本の領土となりました。

日露戦争後のポーツマス講和条約では、樺太の南半分(北緯50度以南)が日本の領土となりましたから、この時点で千島列島の全部と樺太の半分が日本の領土であったわけです。

しかし、第二次世界大戦後のサンフランシスコ平和条約では、樺太も千島列島も放棄し、ときの国会では政府が、放棄した千島列島には国後も択捉も含まれていると説明しています。

その後、1956年に鳩山一郎政権がソ連と署名した共同宣言に、平和条約を条件として、歯舞と色丹を日本に引き渡すと書いてあります。

さて、この一連の事実関係は、前後に明確な連続関係があり、予断を挟む余地はほとんどないように見えます。にもかかわらず、一体いつ、そして何を根拠に「4島返還~要求」が出てきたのでしょう。

確かに、第二次世界大戦で、日本が無条件降伏した後にソ連が千島列島に侵攻し、1945年の93日に歯舞に至る全島を占領したことは、ずるい、卑怯としか言いようがありません。しかも、92日には、戦艦ミズーリ甲板で行われた降伏文書の調印式にはソ連の代表参加していたというではありませんか。一般に、ソ連や中国等共産主義国は「うそつき」です。

4島要求の根拠があるとしたら、せいぜいこの理不尽なソ連の千島侵攻かもしれません。しかし、それとてその後平和条約や共同宣言の前には説得力を持ちません。平和条約やら共同宣言はその事実をも踏まえて、吸収した結果なのでしょうから。

以上のとおり、北方領土問題と尖閣諸島問題は、その歴史歴背景も主張根拠も全く異なります。

民主党政権は、尖閣諸島問題では、しっかりした主張根拠があるにもかかわらず、それを主張せず、一方の北方領土問題では主張根拠が曖昧であるにもかかわらず強気に出ているという、実にへんてこな外交を展開していると思います。

北方4島を取り返すには、経済でも軍事でもどんな形にせよ、力を蓄え、その力によって再び日本の領土とする旨の条約を認めさせるほかなさそうです。

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