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2010年12月16日 (木)

諫早湾干拓事業の開門調査と次々と事業を台無しにする民主党政権

諫早湾干拓事業で造られた堤防の開門調査を命じた福岡高裁判決に対して、政府は上告を断念した。周辺の漁業従事者らはこれを歓迎したが、干拓地に入植した農業関係者は反発している。

双方ともその言い分にそれぞれ理があるように思えるので、両方に同情したい。入植した農業従事者は、すでに土地を耕作しそろそろ採算に乗ってくるほどにまでなっているので、開門すると用水が引けず生活を脅かすことになる。一方、周辺の漁業従事者は、堤防による環境の微妙な変化の影響で、こちらは既に生活が脅かされている。現実の生活が脅かされるということで、双方にとって重大な問題だ。この状況ではどっちに転んでも被害が大きい。

しかし、この「どっちに転んでも被害が大きい」状況は、もともとそうだった訳ではなかろう。干拓事業開始前は、入植農業従事者はまだ居なかったのだから、漁業従事者の既存生活を脅かすリスクに対して、農業従事者側の事情としてあったのは、未実現の未来生活の可能性に過ぎなかったわけで、それはまだ明確な対立軸ではなかった。方や被害を被るはなしで、もう一方は機会を失うに過ぎない。既存生活が脅かされることと、未来生活の可能性への期待では、重みが全然違う。

しかし、入植も始まって農業が起こると当然そこでは干拓地に依存した生活が営なまれる。そうなると農業従事者も既存生活を持つことになるわけで、この段階では、既存生活が脅かされるという、同じ重みを持つ同質のリスクが対峙し、はっきりした対立軸が生まれる。以前は片方の犠牲だけだったのに、今はどっちに行っても必ず犠牲を強いる状況になってしまった。事態は解決せずに悪化しただけ。

思えば、八ッ場ダムとか、普天間基地とかいった事業や案件も、以前は片方の犠牲だけだったのに、余計なことをしたためにどっちに行っても犠牲を強いる状況にしてしまったものとして、よく似ているように思う。

いずれも、民主党が政権を取ってからのこと。他に、事業仕訳などと銘打ってチョッカイを出した事業の中にも同じようなものがあったのではないかと思う。そして、これが政権を取った野党の宿命ではないだろうかと思う。その仕組みはこうだ。

つまり、野党が・・・全ての野党がという言う訳ではないが・・・・政府のやることに、いちいち異を唱えて存在感を出そうとする。まるで反対することだけが野党の役割であるかのように。で、思いがけずに政権を取ってしまうと、自分で創り出すことに慣れていないから、野党時代に反対していた既存の事業を悉く掘り返してはつぶしていく。

今では、2大政党が交替する英国も、昔初めて労働党が政権を取った時は何もできないまま国民の期待を裏切り、すぐにまた政権を保守党に奪われしまった。そのうち次第に政権与党としてのノウハウが身につくようになってようやく今の形ができたそうだ。

民主党も早く学習してほしいものだ。

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