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2011年5月31日 (火)

福島第一原子力発電所事故に対する政府の対応への批判

日経朝刊の「大機小機」に、福島第一原発事故後の政府の対応が日本のブランド価値を下げたと書かれていました。その対応は、全部で5つあるのですが、この5つの根にあるものを少し考えてみました。

まず、以下にその5つを列挙します。

1.  1ヶ月もたってから、レベル7だと公表し、公式発表への信頼を失墜させたこと。

2.  放射線について、「ただちに健康への影響はない」と影響が小さい印象を与える説明をし続け、その影響を過小評価したこと。

3.  20キロ圏外に高度に汚染された地域があることが3月20日ころには分かっていなのに、適切な対応をせず、リスクを抱える結果となったこと。

4.  事故の後、食品の放射性物質に関する安全基準を大幅に緩和してしまったこと。

5.  金融機関に対し、金融の基本的ルールを無視して東電への債権放棄を求めたこと。

大機小機では、5つがこの順番で並列されて列強されていましたが、紙面がもっとあれば著者はさらに以下の事が言いたかったのではないでしょうか。

まず、その性質から、3つに括ることができます。括りのひとつ目は、始めの対応1~2、次に対応3、3つ目の括りが対応4と対応5です。

ひとつ目の括りは、冷静な評価姿勢の欠如です。一般的に、物事に対処する際の手順は、問題点の認知、原因の分析、対策の検討と実行という流れですので、事態の評価は問題点の認知に当たるわけです。しかし、多くの場合、特に和と調和を重んじる日本人の場合は、始めの問題点の認知のところで、どうしても最後の対策の実行可能性を思い浮かべてしまいます。対策の実行まで大過なく円滑に事をなし終えることができるか否かということがどうしても先にきてしまうのです。その結果、認知すべき問題点を小さく小さく評価してしまう。

目的は大過なく事をなし終えることではなく、問題を片付けることなのですから、ここは冷静に科学的に評価しなければなりません。問題が大きすぎたために対策を一生懸命考えたが、ここまでしか対処できないということであれば、それを率直に認めて発表すべきです。その結果、そこに参加していなかった外部の知識者が「ではこういう方法はどうだ?」と意見を寄せることもできるはずですから。

次の括りは、隠蔽体質です。大機小機によれば、3月20日には20キロ圏外に高度汚染地域があるのが分かっていたのに対応しませんでした。手元の情報を全部公開すると国民を混乱に陥れることになるとでも思ったのでしょうか。記事では、対応「1」のところで、公式発表への信頼を失墜させたとありますが、むしろこの対応「3」の方がその批判に相応しい気がします。

しばらくたってから「SPEEDI」が出てきて、びっくりしました。公表すべきが隠されてしまうと、人はいろんな憶測をするもの。憶測が憶測を呼び、どんどん広がって極端になりますから、このほうが国民を混乱させることになるのではないでしょうか。

だいたいにおいて、「SPEEDI」による汚染地域地図が出たので、避難地域を単に20キロとか30キロとかの同心円で括った方法をすぐ改めるのかと思いきや、全くその気配がありませんでした。ここにも問題があります。これは隠蔽体質ではなく、機動性欠如の問題です。新たな事実が判明したら、それまでの認識で構築した枠組みを思い切って捨て去る必要があります。一時は混乱するかもしれないけど結局はそれが、着地すべき場所に早く着地させるいい方法である場合が多い。もちろん冷静で科学的な評価をしたうえでのことですが。

政治家は方向を転換するとき、それまでの失敗を認めず、失敗の上に正しい方法を重ねて「建設的、発展的解消」をするんだというようなことをよく言いますね。「私はぶれない」と自慢をする政治家がいますが、それは決して自慢できることではありません。ぶれない人が集まって会議を開いても決して結論は得られません。自分は間違っていると内心気づいていても絶対にぶれないからです。そうしているうちに事態はますます深刻になっていくでしょう。

最後の括りは、ルール無視の問題です。上に書いたように、事情がすっかり変わって、現在あるルールを作った時の前提が狂ったということなら、とっととルールを破棄して新たなルールを作るべきだと思いますが、記事に書かれている対応は2つともそうではありません。

まず、食品安全基準ですが、作った時の前提が狂う、つまり基準を変えていい事態というのは、例えばその放射線物質の人体へ及ぼす悪影響が、研究の結果いままで言われていたよりも随分と小さいことが判明したというような事です。しかし、このような発表は全くありませんでした。ただ単に対応できる範囲にまで基準を下げただけということではないでしょうか。

次に金融機関の債権放棄ですが、銀行だって経済活動ルールの枠組みの中で経営されているということを考えてあげなければなりません。「枠組みの中で」とは、そのルールに従うということと~ここからが大切なのですが~そのルール通りに世間が動けばこうなるはずだと予測を立てることができるということです。

予測が立てられなければ、誰も何もすることはできません。横浜から東京に行くのに東海道線に乗るのは、東海道線が横浜から東京に向けて運行されており、この電車もその予定にしたがって動くはずだとの予測が立てられるからでしょう。それが品川当りでいきなり山手線の路線に入って新宿にいってしまうリスクが70%あるとなれば別な方法を考えざるをえません。

ルールと枠組みは人々が予測を立てるために必要で欠かすことができないのです。今回の場合は、銀行が債権放棄する前に、まず株主が、そして次に劣後する債権者が・・・という順番がルールで決められているはずで、それを見込んで銀行が経営計画を立てている。それを枝野長官は全く無視した。

突然お手盛りで別なルールに代わるのであれば銀行ははじめから東電なんかに融資しなかったはずです。これをちょっと難しい言葉でいうと「詐欺」ということになります。

さて、ちょっと長くなりましたが、上記のうち、ひとつ目の括りと二つ目の括りは、身体に染み着いたものなので、そうおいそれとは改善できるものではないかもしれません。しかし、3つ目の括りはよく監視を利かせれば直ちに改善できることで、しかも3つの括りの中で一番重大だと思っています。

このことは政府だけではありません。私達の日頃の仕事についても言えることです。是非この機会に振り返ってみましょう。

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