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2011年10月22日 (土)

原発三法交付金で作った施設が、交付金が途絶えるともう維持できないとは一体どういうことか。

NHKのニュースで、原発三法交付金の問題について報道されていました。

脱原発を標榜しているいくつかの地方公共団体が交付金の申請を見送る方針を固め立というものです。その事については、「確かにそれは筋が通っている。そう考えるのも納得できるな。」と思いました。

地元に原発を受け入れたために、そこから派生するいろんなリスクを請け負うことになった。その代償として交付金を受け取ってきたわけだから、今後原発を受け入れないと宣言したら、受け入れの代償としての交付金は受け取る権利がなくなるのは当然です。

そのために、建設途中の施設の工事が続けられなくなったというのも仕方ありません。ニュースでは、そんな「仕方ない」工事中施設のいくつかが紹介されました。

ところが、その中にひとつに納得いかない物がありました。それは、ほとんど完成している施設について、今後交付金が途絶えると、運営維持ができなくなるというものです。どの自治体だったか忘れましたが、その自治体は、建設費用ばかりか完成後の施設運営にあたっても交付金をあてにしていたということです。

交付金の使い方に制限がないということなので、活用方法は自治体にまかされているようですが、まかされているならまかされているなりの責任ある活用の仕方というものがあるはずです。ならば、少なくとも次のような自主ルールくらいはあってもいいのではないか。つまり、

·   施設の建設費は初期投資費用として、最初だけにかかる費用であり、企業なら貸借対照表に計上できる資産なので、それは交付金で賄う。

·   しかし、その後のランニングコストは施設がある限り、ずっとかかってくる損失勘定なので、そこは循環ルールを設けよう。

·   なぜなら、交付金は他力本願のいつ途絶えるかわからない原資であるから、将来にわたって、ずっと支出し続けなければならないようなものに充てるのは適切でないから。

それを、何から何まで「おんぶにだっこ」では経済成長の全てを財政支出で賄うようなもので、とてもマネジメントがなされているとは思えません。

なんだか、借金漬けになってもまだ、自分たちの生活費をおねだりするギリシャのデモ参加者を見ているようです。

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