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2012年2月21日 (火)

決してブレない人々と普天間基地。沖縄海兵隊移転。犠牲のシステムは悪か?

【普天間とグアム移転の分割で、関係者はそれぞれ都合よい解釈をしている。】

先ごろ、日米両国政府は、普天間基地の移転課題と切り離して、海兵隊のグアム移転を先に進めることで合意したとの報道がありました。双方が意見を出し合って、まずは貴重な一歩として満足する形で合意したとの報道内容でしたが、その実は、米政府の見切り発車を容認せざるを得なかったとのことです。沖縄では、見直しが実現したことで、普天間基地の辺野古移転も見直し可能性が出てきたと解釈して、これを歓迎している一方、政府は政府で、先取りした負担軽減を目の前に見せることで、沖縄の強固な態度を和らげることができるかもしれないと、希望をもっています。どうやら双方とも自分の都合に合わせた拡大解釈をしてなんとか辻褄を合せているという微妙な状況にあるようです。

【しかし拡大解釈を続けているうちに、決まってしまう。】

しかし、いずれ、普天間基地固定化のリスクと進展の可能性のどちらが現実かが明らかになってくるでしょう。そうなったとき再び、政府は日米同盟と抑止力を持ちだし、沖縄は理不尽な犠牲を持ちだすことになり、双方が絶対にブレない方針をもって交渉に臨むため、妥協点を見いだせないまま時間だけが過ぎていくでしょう。

それを見ながら米政府は再び米国の都合で、一方的に何らかの方針を立てて決定してしまう。その決定は、沖縄にとっても日本政府にとっても、それぞれが思う自分の都合に合わせた拡大解釈ができるような決定内容になっているはずです。それを繰り返していくうちに、結局、沖縄の問題は当事者の意思や議論とは全く関係のないところでどんどん決められて最終決着することでしょう。その時になって沖縄も日本政府も、それは米国政府が決めたことだから仕方がない、自分たちは国民あるいは県民の意向を反映して一生懸命説得を試みたのだから、応分の責任は果たしたと、アリバイを主張するのでしょうか。

【ブレないことが、思考停止に陥らせている。】

ブレない政治家、ブレない交渉当事者とは困ったものです。ブレなければ政治はできず、ブレなければ交渉ははじめから成り立たない。事の内容を合理的に吟味する力を失い、ただブレないことだけが国民や県民の意向にそった政治だと思っているなら、それは当事者能力の欠如というほかありません。

ブレなければ・・・といのは少々乱暴な物言いでした。しかし、物事をひとつずつ分解してよく調べ、仕分けしていくことで多くの場合は双方が納得できる、結構良い結論を導き出すことができると思います。そしてその事が結果として当初の交渉方針から見ればブレたように見えると言い換えた方がいいかもしれません。

【政治かは大衆迎合的に、物事を一言で表現したがる。】

どうも政治家は大衆にわかりやすい一言を探し、それで複雑な案件を括ってしまおうとするのでいけません。問題が複雑だから、結局一言では括れずに、後でいろいろと注釈を加えることになってしまう。すると、それを大衆が見て、くるくる態度を変えられたのでは分らんということになる。政治家としては票を失うのが怖いから、多少自己矛盾を感じても最初の一言で押し通そうとする。その結果交渉も成り立たなければ、仮に交渉が成り立ったとしても滑稽で非合理的な結論を導いてしまうのです。

「かくすれば、かくなるものと知りながら、止むにやまれぬ大和魂」・・・

【犠牲とはなにか。交渉は双方の利益の均衡点を探すこと。】

横道にそれました。物事を分解して仕分けする方法に戻ります。

例えば、沖縄の問題を分解した材料の一つとして、「犠牲」とは何でしょうか。一方が他方の利益を何のみかえりもなく一方的に奪うと、奪われた方は「相手の利益獲得の犠牲となった」と感じるでしょう。みかえりが用意されている場合はどうでしょうか。利益より多くのみかえりを要求されたら、利益を奪う方は交渉動機を失うし、小さければ奪われる方が拒否することになります。全ての交渉事は利益とそれに見合うみかえりの大きさがその交渉材料となります。

こう言うと、「沖縄の犠牲は経済的見返りで済むような、そんな話ではない。馬鹿にするな。」と反論が出るでしょうね。しかし、そこをもうすこし我慢して「交渉の仕組み」を考えてみたいのです。経済的見返りだけが「みかえり」ではありません。政治的、精神的、名誉、・・・・みかえりにはいろいろあります。まずは交渉とは双方の利益の均衡点を探すことであると理解すべきです。

【助け合う社会なら、犠牲と見返りはつきもの。感情論ではなくもっと合理的に。】

取引交渉が必要ない社会は、全員が自給自足できる社会でしか実現できません。人にはそれぞれ得意不得意分野があって、各人が分業し、物々交換し合って、社会が成り立っているんだということです。このことを大衆迎合的ポピュリズム表現を使って言うと、「人は互いに助け合い、支え合って生きているんだ。」という言い方になります。響きが良くて聞き心地の良い表現にごまかされて、同調圧力に負けてしまうような交渉結果にしたくなければ、沖縄・政府とも、この問題が、譲歩・固執・痛み分けといろんなやり取りが可能な取引交渉材料の集合体であると認識する必要があります。その上で、交渉テーブルにつくのです。

【ただし、利益と犠牲の振り替えは禁止。】

ただし、この場合常に注意しなければならないポイントがあります。

利益享受する者と見返り提供する者は必ず同一人物とするということです。人物が一人ではない場合は、組織内での分配ルールに相当の配慮が必要です。間違っても、例えば沖縄が利益を享受し、利益相当の見返りを日本政府に提供したとして、沖縄のA君が利益を独占し、沖縄のB君が見返り提供を強要されるということはあってはなりません。

この大きな問題に関し、くれぐれも、なにも具体的に話をしないうちに全部米国に決められてしまったということのないようにせねば。

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