« ドラッカー「マネジメント」サブノート、第34章(全61章) | トップページ | 65歳まで働ける、高齢者雇用安定法改正案を通す方法 »

2012年3月12日 (月)

東日本大震災から1年。理想の復興より、まずは身近な復旧を。

東日本大震災から1年たちました。一昨日、昨日とテレビのどのチャンネルを回しても、当時の被害の状況や、今もって立ち直らない被災者の心の傷や、生活を脅かす復旧の遅れなどに関する報道でいっぱいでした。

【復興の遅れに住民はやりきれない思い】

その中で、復旧の遅れに関する報道については、今進めている方法で良いのかどうなのかという疑問を投げかける内容が多かったように思います。その疑問とは、いろんなことが決まらないから、復旧・復興が遅々として進まず、一方で用意した予算が未使用のまま残されているという問題に向けられたものでした。

例えば、復興庁が各省庁にまたがる課題を復興という切り口でたばねることで省庁間の複雑な調整作業を省き、復興対策のスピードを上げるという目的で設置されたけど、各論になると、汚染物質や瓦礫の中間貯蔵施設を巡って行き先が決められず、実行が遅れているとか、高台への引っ越しについても、全員が満足できるルールが決められずに、これもやはり実行が遅れているといったことです。

一方で、映像に映し出された被災者の様子は、全体の方針やルールが決まらないのでとても歯がゆい思いをし、一刻も早く自分の仕事と生活を立ち上げたいのに何もできないという苛立ちとやりきれない気持ちがどの人の表情にも表れ、とても見るに堪えませんでした。

そこで考えてみました。

【遅れの原因は、復興を目指す重さゆえ】

遅れている原因のひとつに、目指している復旧・復興が「単なる復旧ではなく、前より格段に良くなる復興でなければならない。」という課題の重たさにあるのではないかということです。

そして、これは特に、政府や地方自治体など行政をつかさどるところで、その気持ちが強く、また被災地以外の全国の人たちに、その期待が強いように思います。当然、壊れたものを直すのだから、以前より良いものを造りたいと思うのはごく自然なことです。

しかし、単なる復旧ではない復興を目指すには、それなりの負担ものしかかり、時間もかかります。

【例えば、復興ビジョンの理解が進まない】

例えば、復旧なら今までと同じものを造ればいいけど、より良いものを造るとなると、新しいビジョンと考え方が必要で、それについて住民の理解を求めなければなりません。住民にとって体験したことのない新しいビジョンや考え方は、その概念を想像するだけで大変なことだと思います。

日頃から政府や自治体政府が住民に呼び掛けて議論を尽くし、将来への課題について一致した考え方を持ち、方向が絞られている状況なら、一切を失ったこの機会がチャンスであると政府、住民ともに思うでしょう。

しかし、そのような事を具体的に話し合うことなどなかなか難しく、実際にはほとんど行われていないのではないでしょうか。

【例えば、全員に適用できるルールの発見は難しい】

さらに、新しいルールに関するアイディアがあったとしても、そのルールが全員に共通に適用して問題がないものなのかどうなのかということも、なかなか見極められません。最初に訴えがあった人に、救済を施しても、それと同じような救済がその後に表れる申し出者全員に施す予算があるだろうかという心配も出てきます。

そうなると、最初の申し出者にはもう少し待ってもらって、もっとサンプルが出そろったところで全員に適用できるルールを造ろうかということになるかもしれません。その結果、時間がかかってしまい、待てなくなった住民が県外移住を決断するという事態を招くことになるでしょう。

【為政者の願いと住民の願いは異なっている】

より良いものを造って復興させたいと願う為政者と、より良いものなどどうでもいいからとにかく明日の生活をなんとかしたいと願う住民の意識のギャップがあるような気がします。

【復興より、まず復旧を】

そこで、考え方を改めてはいかがでしょうか。

1.  復興ではなく、まず復旧をめざす。元通りにならなくてもいいから、まずは向こう数年から10年程度の生活基盤をつくる。

2.  そのため、住居制限などの復興を目指すために必要だった制限や規制をはずし、震災前のルールを適用する。新たなルールをつくらないので議論する時間が節約できる。

3.  一方で、どの地域がどれほど危険かなど、今回の震災でわかったことを逐一公開する。

4.  みんなの生活が始まったところで、ゆっくりより良いものを造る意見交換を始める。

何かを造ってしまってから、より良いものに造りなおすわけですから、余計な費用がかかるし、一度出来てしまえば、より良いものなど考えなくなるのではないかという心配もあるかもしれません。

しかし、新しいものを造るというのは、それほどまでに負担のかかるものなのです。その新しいものが、それほどの負担を強いても魅力あるものならば、震災前だって着手できていたはずです。或いは、少なくとも構想や議論はできていたはずです。ならば、今のように、ビジョンや考え方をまとめて住民の理解を得る為の時間だってこれほど長くはかからなかったはずです。

今、なによりも一番大事なのは、被災者一人ひとりの明日の生活基盤であり、為政者と住民の間に意識のギャップがあるということを知ることではないかと思います。

|

« ドラッカー「マネジメント」サブノート、第34章(全61章) | トップページ | 65歳まで働ける、高齢者雇用安定法改正案を通す方法 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/548369/54207684

この記事へのトラックバック一覧です: 東日本大震災から1年。理想の復興より、まずは身近な復旧を。:

« ドラッカー「マネジメント」サブノート、第34章(全61章) | トップページ | 65歳まで働ける、高齢者雇用安定法改正案を通す方法 »