日記・コラム・つぶやき

2015年8月13日 (木)

御巣鷹山と安全を守る思い

 

毎年、この季節になると、終戦と原爆の話題に加えて必ず報道されるのが御巣鷹山の参事です。事故が起こったその日、尾翼を破損したままロール。みな、なんとかならないものかと気をもんでいましたが、結局、必死の抵抗を試みた機長や乗組員の努力のかいなく、飛行機は御巣鷹山の尾根に激突して、520人が犠牲になる大参事となってしまいました。犠牲者の中には、歌手の坂本九さんもいました。「上を向いて歩こう」など、多くの人に頑張る気持ちと希望を届け、世の中をぱっと明るくしてくれた、国民的人気歌手でした。彼の歌にあるように、事故を悲しむだけではなく、上を向いて歩いていかなければならないのでしょうね。

 

先日、NHKのテレビ番組で、この事故に関わる人達の「今」を紹介していました。

 

一人は、機長の娘です。事故直後、機長の家族は遺体の確認さえも人目を忍んで行かなければならなかったそうです。機長は必死で対応しようとした英雄であったはずなのに・・・です。そんな辛い目に逢った彼女は、その父の思い背負って、あえて日本航空に入社しました。安全に対する思いと工夫がいかに大事なものであるかを仲間や後輩たちに諭し、指導しているそうです。

 

同じように、安全を守る方法を説いている、犠牲者の遺族も居ます。犠牲になった父は、空ではないけど、同じ交通の仕事を海の分野でたずさわっていました。揺れる機内で、一生懸命手帳に書き留めた遺書は、広く報道されたので、その無念な気持ちと家族への思いが多くの人の共感を誘いました。当然、当事者である娘の真理子さんは、それ以上に苦しい思いをしたでしょう。今、コンサルタントとしてCSRを指導するほか、安全についても熱心に説いて回っているそうです。父を亡くした辛い思いが彼女を動かしているのだと思います。

 

犠牲者遺族でも事故の関係者でもないのに、慰霊のために御巣鷹山に登る人にも焦点が当てられました。その人は神奈川県在住の会社員です。取材に応じた彼は、こう話していました。自動車会社で安全を守る技術の開発に従事している。とかく利益に走りやすい企業のなかで、安全に対する思いを新たにするために来た、と。

 

多数の犠牲を出した参事ではあったけど、この事故をきっかけに、多くの人が安全に気を配るようになり、その思いは関係者以外にも共有されてきたように思います。犠牲者を悼む気持と同時に、これからも上を向いて歩こうという気持ちの大切さを思い知りました。

 

この事故以降、日本の刻空会社は死者を一人も出していないそうです。

 

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2014年7月24日 (木)

アギーレ監督、仮に優勝したら、Made by Mexicoか

サッカー。日頃はあまり観戦しませんが、ブラジルのワールドカップは見てました。サッカー日本代表の監督に元メキシコ代表監督のハビエル・アギーレ氏が就任することになったそうです。日本人の監督では駄目なのですか。

昔、「Made in Japan」の品質が高く評価されましたが、最近は円高やら製造コスト高やらで空洞化が進んで日本国内の製造業が海外に出て行ってしまったため、「Made in Japan」がめっきり少なくなってしまいました。苦しまぎれに言ったのは、「作られたのは海外でも作ったのは日本人だから「Made by Japan」だ。」

アギーレ監督の指導で、仮に次のワールドカップ優勝ということになったら、「Made by Mexico」ということになりはしませんか。

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2011年10月 6日 (木)

スマートフォンの使い方、iPhone「4S」とクラウドサービス

米アップルが、高機能携帯電話(スマートフォン)の新型、iPhone4S」を発売する。日経新聞によれば、この新しい機種は、クラウド型サービスに対応した基本ソフト「i OS5」を搭載しているそうです。

クラウド型サービスに対応したOSっていったい何でしょう。クラウドサービスが受けられるかどうかはOSの問題ではないような気がするのですが。日経新聞の記事では、このクラウドサービスに対応しているという事が、大きなイラスト入りで、相当念いりに説明されていました。クラウドに対応できるという事がこのOSに固有のものなのかどうかは、この際置いとくとして、確かにクラウドサービスは、これまでのパソコンや携帯電話の使い方を変える可能性があるのかなと思います。

みんなは、スマートフォンをどのように使っているでしょうか。スマートフォンの持つ特徴をよく理解して使っている人は、ごく僅かではないかと私は思っています。私自身、2年ほど前から使っていますが、導入する前に目論んでいた事が、実はスマートフォンを使ってもスムーズにはいかず、こんなことなら普通の携帯電話で十分だったなと思っています。

私が目論んだのは、「自分で作った大量の情報ファイルを手帳のように持ち運ぶ」ということでした。でも、自宅や会社のパソコンと同期させるのが結構煩わしく、結局その使い方は実現していません。

結局、通話機能、メール機能、スケジュール管理機能、情報取り入れ機能・・・・くらいしか使わなくなってしまいました。で、よく考えてみるとこんなことは、以前使っていた普通の携帯電話でできたことではないか。わざわざアプリケーションをダウンロードするまでもない。

実は、他のスマートフォンユーザーも、多かれ少なかれ私と同じではないかと思っているのです。「iモード」がしっかりしていれば、それで十分だったはずです。日本の携帯電話はガラパゴス化と揶揄されつつも、その充実した機能はどこのメーカーにも負けていません。それどころか、海外メーカーの貧弱な機能しか装備していない電話とは比べ物にならないくらい「いいもの」だったのです。

そこで海外のメーカーが、その機能を装備しようと世に出したのが、すきなアプリケーションを後天的に組み込むことで、日本の携帯電話の機能充実度と同等になると目論んだスマートフォンです。

実際、海外でスマートフォンがどんどん普及していったのに、日本のユーザーは当初見向きもしませんでした。

昨日若くして亡くなられた、偉大なスティーブ・ジョブズ氏があまりにもカッコ良く勧めるものだから、それに乗せらてしまったようです。

もっとも、これには事情があります。日本では、高機能ゆえに高額になってしまうハードのコストを、通信会社が肩代わりしてしまうという料金制度であったために、本来はなかなか手が出ない高価なはずの高機能携帯電話が極端な安値で販売されたので、おおいに普及しました。しかし、海外ではメーカーはメーカー、通信会社は通信会社で別なので、通信会社がコストを肩代わりすることはせず、高機能にするとハードが高すぎて誰も買いません。だから別な方法、すなわちスマートフォンで対応することになったというわけです。

おそらく、日本のスマートフォンユーザーの大半は、普通の携帯電話でも装備しているような一部の定着したアプリを除けば、ちょっと気になるアプリケーションを見つけたらダウンロードし、すぐ飽きるからまた別のを探しに出かける。その行為そのものが物珍しいということではないかと思います。つまり、「おもちゃ」としての使い方で冒険中というのが正直なところではないでしょうか。

さて、そんな中で、クラウドです。クラウドは、自分の、或るいは自分の為にも用意されたコンテンツ等を一ケ所にまとめ置きし、それを自分が持ついずれの端末機からでも取りに行くことができるという利点がありますね。

端末機は自宅のPC、会社のPC、持ち歩く携帯電話、タブレットなど場所によって異なります。昔はそのマシン毎にコンテンツ等を収めなければならず、いくつもマシンがあるとその数だけ揃えるか、記憶メディアを刺したり抜いたりしなければならなかった。

しかしクラウドが導入されたので、そんな必要はなくなったのです。そして今は、持ち歩く端末機でもそれは必要なくなったということなのです。

日経新聞の記事では、一ケ所にまとめ置きするコンテンツとして、音楽を例に出していましたが、私の場合は、自分で作った大量の情報ファイルです。これは私にとってとっても便利です。なにしろ、キャビネット何箱分もの情報をいつも携えて持ち歩けるわけですから。

携帯電話の使い方も、単なるおもちゃから、生活の道具として、或いは知的生産のツールとして大きく変わっていくんじゃないでしょうか。

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2011年8月25日 (木)

島田紳助、暴力団に解決してもらった面倒なこととは何ですか?

島田紳助氏が暴力団との関わりを理由に芸能界引退を決めた記者会見をTVのニュースで見ました。なにしろ、NHKの朝7時のトップニュースで報道し、しかもリビアの問題だとか民主党代表選挙の問題だとか、日本の国債格付けの問題だとかを全部後回しにして、朝の貴重な時間のなか延々10を超える報道だったものですから、「ほほう、島田紳助氏の影響力はたいしたものだな。」と。

感想を求められた、街頭インタビューで、ある男性が「毎日TVで見る顔なので、残念です。」と言っていましたから、確かに影響力があったのでしょう。僕自身は、TVでも3ヶ月月に1回か半年に1回くらいしか見ない顔なので、そうは思いませんでしたが。

それはともかく、記者会見ですが、暴力団と往来があった程度のことなら普通は謹慎程度でごまかすところ、「自分はきっぱりと芸能界を引退するのだ。どうだ、男らしく、 真摯で、かっこよく、潔いだろう。」と言いたげでした。

しかし、かれが会見で話していた、知り合うきっかけとなった経緯については、往来があった程度というにはちょっと問題があるのではないかと思います。「ある一件で困り事があり、それを相談したら解決してくれた。」というのが知りあうきっかけだったそうですが、困り事とは一体なんでしょう。

民の困り事は法律が解決してくれるというのが法治国家のあり姿ではなかったでしょうか。ある人が理不尽に不利益を被り、その一方で不当に利益を得ている人がいたら、裁判所がそれを公正に裁き、一方を罰して他方に利益を回復させるはずです。だから、法治国家は法律による公的な救済は許すが、私的な力でうったえる「私力救済」は禁じられ、それそのものが法を犯す行為です。

彼が「困り事」の解決をお願いした暴力団は「私力」ですから、暴力団に解決してもらったというのは私力救済ということになるし、そもそも法律で公正に裁くことができないような「困り事」というのは、どう考えても怪しいと言わざるをえません。

ですから、このいきさつを指して、「暴力団とちょっと往来があった」だけというのは無理があると思います。

ということから得られる結論は、彼の行為が、「ささいなことでも真摯にとらえて、芸能界引退という大きな犠牲をはらって反省した」という潔いものではなく、「私は法を犯した犯罪者でした」と下を向いて、震えて泣き崩れるべきものであったということです。

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2011年7月29日 (金)

ウィンドウズフォン、Windows Phone上陸・・・という見出しの新聞記事について

昨日の新聞に「ウィンドウズ・フォン上陸」という見出しの記事が載っていました。なになに?じゃあいままでWindows Phoneは日本に上陸していなかったのか。じゃあ、僕が使っている、ドコモの「T-01A」は何なのか?

記事を読んでみると、どうやらいままでのWindows Mobile と違って、よりスマートフォンとして使いやすくしたVer.7.5のことだという。生まれ変わったという意味も込めた見出しだったのでしょう。それにしても、いままでWindows Phone がなかったかのような表現はあんまりです。

確かに、国内ではアンドロイドやiPhoneに押されて、Windowsの存在感はほとんどありません。ドコモのHPを開いて、Line-Upを見ても、もうT-01Aは見つけられないし、もちろん店頭にも陳列されてもいません。でもここに、れっきとしたWindows携帯のユーザーが居るのです。しかも数年も前から。

確か、発売当初はTVでサッカーの中田英寿がコマーシャルしていました。

僕がスマートフォンを買う時には、すでにiPhoneもアンドロイドもあり、どちらかというとその当時からWindows携帯は少数派でした。しかし、敢えて少数派になる覚悟でWindows携帯にしたのには理由があります。それもきわめて単純な。

その理由とは、会社でも自宅でも、PCのOSはWindowsで、携帯もその延長線上での活用を考えたからということです。具体的には、自宅で作った情報ファイルをいつも持ち歩いていつでも参照したい。スケジュール等も自他や会社のPCと同期させたい。Mobile PCを持ち歩けばいいけど、それはちょっと重たい。できれば電話も一緒にしたい。・・・・という訳です。

単純だけど、合理的な理由であると僕自身は思っています。スマートフォンを何に使うかは使う人の自由ですし、人によってその目的は実に様々でしょう。そしてスマートフォンはその多様な使い方や目的に対応できる携帯であるというのが最大の特徴だと思います。

であれば、OSも多様であるべし。この意味で僕は、互いに似たもの同士のiPhoneとアンドロイドに対して、異なる点が多いWindowsにもっと目を向けて、評価されるべきではないかと思います。明確な対立軸としてもっと存在感を示してほしいし、一方のユーザーには、猫も杓子もIPhone・アンドロイドと体制におもねるのではなく、もっと主体的に商品選択してほしいものです。

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2010年6月13日 (日)

iPadのどこがいいのか

iPadは何故みんなが注目するのでしょうか。iPadとは一体何者でしょうか。

テレビでは、PCとスマートフォンの中間がiPadだと紹介していました。PCとスマートフォンの両方の機能を併せ持っているということでしょうでしょうか。ちょっと納得できません。

以前、テレビで、スマートフォンは一言で言うと、携帯電話とPCの中間だと紹介されていました。その時は納得しました。確かに携帯電話のように電話できるし、メールできる。またPCのようにOSの上にいろんなアプリケーションを走らせ、EXCELやWORDが使えたり、インターネットも使える。

だから、携帯電話とPCの両方の機能を合わせ持っていて、中間に位置しつつ両方にちゃんと手が届いています。

しかし、iPadがスマートフォンとPCの中間と言われても納得できません。大きさは丁度両者の中間かもしれませんが、機能としてはどうでしょう。PCと同じようにOSの上に様々なアプリケーションを走らせることは可能なので、PCの機能は持っているようです。でも、電話の機能はない。スマートフォンの大切な機能の1つ、携帯電話機能はないわけですから、両者の中間とは言えないと思います。

iPadとは何かを説明する方法としては適当ではない。では、どう言えばiPadの特徴をちゃんと捉えた表現になるのでしょう。ちょっと考えてみました。

私が勝手に捉えているiPadの捉え方は、「iPadは、豊富なアプリケーションの広がりが期待できる、タッチパネル型のモバイルPCである。直感的な情報端末として、生活のあらゆる場面に浸透する可能性がある。」です。

この言葉に含まれている要素は2つあります。

まず、タッチパネルであるということ。これにより、詳しく見たい個所は直接そこに触れたり、次の動作は直接コマンドメニューに触れたりすることで、デバイス(iPad)への動作指示がとってもユーザーフレンドリーです。PCの操作で、画面を見ながら次の動作を打ち込みたいとき、キーボード入力では、目的のキーを探す必要があり、マウス操作では、マウス操作をポインタに同期させる必要があるので、慣れていない人はいらいらするでしょう。

iPadでは、そんないらいらするキーやマウスを介したりせず、目で見たその箇所に直接手を持って行くことができます。普段の生活の動作をそのまま持ち込めるので、直感的であると言えます。

二つ目の要素は、豊富なアプリケーションの広がりと生活への浸透です。iPhoneやグーグル携帯も同じですが、ユーザーが自由にかつ簡単にアプリケーションを開発することができて、それを皆で使うことができる。だから、ユーザーが必要と感じているあらゆる場面で、このデバイスを活躍させることができ、或いは活躍できる機能を付加させることができるので、無限の可能性を秘めているということです。

今、iPad購入を検討している人は、この二つの要素で検討すると結論を出しやすいのではないでしょうか。

そこで、私の判断です。まず一つ目の要素であるタッチパネル。私は、画面上の選択肢から次の動作をデバイスに指示するより、文章やデータを入力することが多いので、キーボードが必須です。キーボードはキーの深度が打ちやすさの決め手ですから、タッチパネルキーボードは駄目です。

次に、豊富なアプリケーション。私は、仕事で使うことが多いので、あらゆる生活に浸透するアプリケーションの広がりは必要ありません。

というわけで、遊びならともかく、私はiPadには魅力を感じません。とはいうものの、やはりiPadは広く普及すると思います。いままでキーボードが苦手だったり、従来のPCの使用目的と関わりなかった人たちが大勢いて、その人たちが使うようになるからです。

デジタル・デバイド(デジタル機器が使えない人が使える人との間で格差が生じること)の解消に役立つかもしれません。

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2010年5月 9日 (日)

スマートフォンの使い道。OSは?アプリは?T-01Aにした訳。

ドコモのスマートフォンT-01A。2年間のしばりがあるけど、それくらいの期間は十分おもちゃとしてだけでも楽しめそうです。今はスマートフォンを普及させようといろんな割引があって、ヨドバシカメラで新規なら1円、機種変更でも2万円以下と安いので、おもちゃとしてだけでも高くは感じません。

でも、本来のハード価格は6万円くらいなので、そうなるとおもちゃとしてだけならとは言ってられません。もっと実用的な使い方も考えていかないと、いけないと思います。

では、どう実用的に使うかと言うと、「スマートフォンがパソコン付き携帯電話である。」ことを考えれば、その方法を見出しやすい。みんな、パソコンをどのように使っているのでしょうか。自宅のパソコンか会社のパソコンかで使い方も違ってくるでしょうね。

ゲーム、インターネット、ブログの書きこみ、手帳代わり、資料作成、写真や音楽などいろいろだと思いますが、音楽だけなら別な方法があるでしょう、動画や映像だけという場合もそれ専用のもっと安い別の方法があります。ゲームだけという人も、わざわざスマートフォンでなくてもいいはずです。もっとも、それらを一つの機械でというなら必要かもしれません。

そのように、わざわざスマートフォンを買わなければならない使い道だけを絞り込んでいくと、インストールするアプリケーションもOSも選択する根拠を明らかにすることができ、そこから本当にスマートフォンを書くべきかどうかの意思決定もできます。

楽しさを追求するなら、MacかAndroid、僕の場合は、日々作成した情報資料を出先でも使いたいというのが主な使い道だったから、Windowsにしました。

-01Aを購入するとき、やはりインターネットで、実際の購入者がどういう使い方をしているのかを調べていたら、とても覚えきれない臨床知識や数値を算出するための公式、自分が勉強につかった医学書のポイントなどを入力して、出先で必要になったとき確認しているお医者さんが居ました。しかも複数。ああ、これだ!と思いましたね。

神奈川県のある大学では、学生と大学職員全員にiPhoneを無料で配布したそうです。目的はなんでしょうか。最近はレポートも電話で済ます学生もいるらしいのですが、次の候補が表示されてそれを選んでいくだけのプチプチキータッチで論文が書けるとはとても思えませんね。

東京大学は数年前に額内のPCを全部Macに変えましたから、この神奈川県の大学もそんな事情があって、学内使用と出先からのアクセスなどの互換性を考慮して、iPhoneを使わせるようと考えたのかもしれません

スマートフォンの可能性が宇宙のように広いので、いろんな使い方ができます。有効に活用して5~6万円以上の価値を見出すのは、購入者次第ですね。

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2010年5月 7日 (金)

T-01Aには満足しているものの・・・・

いわゆるタッチパネル型のスマートフォン。私が使っているのは、東芝のT-01Aです。私は、Twitterなどで「つながってる」ことへの執着はありませんので、専ら自分で作成した文書や資料などを出先で確認する目的でこれを購入しました。

電話と手帳と自作の相当量の資料を携行する。つまり、自宅のデスクトップを携帯して持ち歩くというのが主な購入目的です。

だから、アンドロイドでもマッキントッシュでもなくて、Windowsが必要だったのです。もちろんiPhoneでもWordなどの閲覧は可能ですが、後天的にインストールするより先天的に組み込まれている方が信頼できたので。

事実、購入してから、お勧めのアプリケーションをいくつか取り入れて使おうとしましたが、だいたいがうまく動作せず、まともに使うことができているのは、Officenail Date+くらいなものです。

でも、当初の目的はこなしているので、とても満足してはいます。

ところが、使ってみてタッチパネルの致命的な欠陥に気付きました。

それは、外の強い日差しのもとで、電話をかけようとすると液晶のテンキーがまるっきり見えないことです。日差しを背にして手で日陰を作ったりしてなんとか対処していますが、難しい。

自作資料の確認は、外の強い日差しのもとではあまり見る必要がなく、この点では問題ないのですが、電話となると別ですから、これはかなり厳しいのです。今思うと、そんなことは買う前から容易に想像できたはずなのに、と。

スマートフォンを持っていながら他に電話も持っている人も多いと聞きます。そんなこと聞いたときは、そんな無駄なと思いましたが、必ずしもそうでもなさそうです。

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2010年5月 1日 (土)

可哀相な英ブラウン首相と思いあがったマスコミ

英ブラウン首相が、遊説先の路上で女性有権者とちょっとした口論になりました。口論の後は、冗談など飛ばして、なごやかな雰囲気を取り戻し、なんとかおさまりましたが、その後がいけない。

顔で笑っていたものの、内心ではよほど反論されたことにむしゃくしゃしていたに違いありません。首相は車に乗り込むやいなや、側近に「あれは、どうしようもない。偏見に満ちた女だ。」と、不満をぶちまけたのです。

こんな車内の会話がどうして知れるところとなったというと、首相が放送用の小型マイクを取るのを忘れていたからです。しかも、放送局は、それを報道した上に、わざわざ件の女性有権者につげぐちしました。当然女性は怒り心頭に発し、首相はとうとう女性の自宅までお詫びに出向く始末。

この一件では、まず首相の過ちが責められるのは仕方ないとして、BBCかどこの放送局か知りませんが、その放送局も余計な事をしたもんだと思いませんか?ひょっとしたら、その女性有権者だって、家に帰ってご主人か誰かに、首相の悪態のひとつもついたかもしれない。でも、もうそれはオフレコです。首相の車内での本音もオフレコです。それをまるで鬼の首でもとったように暴いて見せるのはやっぱり大人げないと、僕は思います。

マスコミは、言論の自由を盾に取って、あまりにも悪意に満ちた取材と報道が多すぎます。日本でもそうですね。少しくらい漢字の読み方を間違えたからといって、一国の首相を馬鹿にするような報道はすべきではありませんし、たった10分の首脳会談で米紙が首相を敗者よばわりしたことに、そうだそうだと喝さいするのもどうかと思います。例えば普天間基地移転について、それぞれの案にどのような功罪があるのかといった肝心の中身に関する冷静は報道がほとんどなく、誰が先走ったとか、昨日の話と違うとか、離党したとかくっついたとか、芸能ニュースのような報道ばかりが目につきます。

ペンは剣よりも強し・・・とは、英リットンの戯曲「リシュリュー」のなかの台詞ですが、これもマスコミを思いあがらせている原因のひとつかもしれません。宰相リシュリューが謀反人を倒したくてもその手段を思いつかないでいるときに、側近が「あなたには、死刑執行できる権力があるのだから、ペンでサインすればいいじゃないか。」と言う場面があり、ここから「ペンは剣よりも・・・。」となりました。

しかし、上記からわかるようにもともとは、強権があるのだからペンで署名すればいつでもそれを発動できるのだという意味であって、文章の説得力で不当な(とマスコミが思っている)権力乱用に立ち向かい勝利できるのだ・・・・という意味ではありません。権力を行使する意味だったのに、権力に抗する意味になってしまいました。

仮に、100歩譲って、文章で説得できるし、言論は自由なんだという前提なら、そんな強い力を持っているマスコミは、もっと高貴な義務感を持って、報道活動に当たってほしいものです。

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2010年4月23日 (金)

「パネェ」、言葉と仲間意識と多言語国家の矛盾

「パネェ」って言葉知りませんでした。

中途半端じゃない → ハンパじゃない → ハンパじゃねぇ → パじゃねぇ → パねぇ → パネェ、と変化してできた言葉で、その意味は「中途半端じゃない」であるという。

じゃあ何故「中途半端じゃない」ではいけないのか。それでは長すぎて時間の無駄だということもあるでしょうけど、それよりも、その意味を知っている人だけで集まって仲間と呼び合うためではないかと思います。

パネェを使えない人を疎外して、使える人だけがその仲間に加わることができる。そのうちパネェが普及してみんなが使うようになると、きっとまた別の言葉が創造されるでしょうね。

人は一人では生きていけないので、集まって集団を作ろうとするけど、人類全体が一つの集団になると、それもつまらないからその集団の中で特別な集団を作ろうとします。その特別な集団が大きくなり過ぎると、またその中に別の切り口による特別集団を作りたがる。

一人と全員集団との間に仲間意識を一番強く感じることができる最適な規模の集団があるはずで、この類の言葉はその最適規模集団を追求しつづける。

言語は通じ合う道具として存在するのに、通じ合わないことで仲間意識を強くすることにも使われる不思議なものです。

大昔、神はバベルの塔を作って天に挑戦しようとした人類から共通語を奪いました。通じ合う小集団に分割されて、国や国家ができたのだとすれば、中国のように1つの国の中に通じ合うことができない多くの民族がいるのはやはり不自然なのではないでしょうか。

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